啓明舎│難関中学受験名門

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塾長後藤卓也のつぶやき

後藤卓也 好評執筆中!「カリスマ講師の受験術:中学受験 読売受験サポート」 はコチラ(外部サイトへリンク)から

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世界に拡げよう、啓明舎の「よっしゃ!」

3月8日の夜12時頃、保護者会の打合せが終わって家路に着こうしたとき、東京ドームから流れてくる大勢の野球ファンでごった返す後楽園駅のホームで、「僕はいまどこにいるんだろう?」という違和感におそわれました。
それはまさにWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、日本対チャイニーズ・タイペイ(台湾)の試合が終わった直後の時間帯。「侍ジャパン」の応援団がまだ球場で逆転勝利に酔いしれているとき、後楽園駅は失意の台湾応援団の発する中国(台湾)語で覆い尽くされていたのです。

実はこの試合、私は台湾チームを応援していました。台湾野球連盟の首席顧問はかつて中日ドラゴンズで大活躍した郭源治さんですし、私は昔から「判官贔屓」の気質が強いひねくれ者なので、もし台湾とオランダが、完全なる「アウェー」状態を克服し、「野球大国」であるキューバと日本を破って決勝に進出したら、さぞかし面白いだろうなと思っていたのです。
台湾チーム以上に応援していたのがイタリアとスペイン。サッカーでは世界最高峰に君臨する両国ですから、「野球選手になりたい」と思っているスペインの小学生が「野球? 何それ? バカじゃねぇの。なんでサッカーやらねぇんだよ」と友だちにイジメられながら、ひそかに母国チームの活躍に声援を送る姿を想像しては、勝手に「エール」を送っていました。

かつてサッカー後進国であった日本も、ヨーロッパや南米から多くのスター選手や指導者が来日し、若い選手や子どもたちが真剣にサッカーに取り組むようになって、いまでは「プロ野球選手」より「サッカー選手」になりたいと答える小学生の方が多くなりました。
逆に日本から海外に渡り、日本の文化やスポーツを広めようと奮闘してきた人々も大勢います。こうした人と人との出会い、文化と文化の交流は、予想もしないような化学変化を起こし、世界を変えていく可能性さえあります。だから日本の柔道選手がオリンピックで金メダルをとれなかったことを嘆くよりも、「JUDO」が世界共通語になり、本家本元の日本が勝てないくらいに世界じゅうに柔道の輪が拡がったことを喜び、誇りに思うべきじゃないかと私は思うのです。

自国の文化を世界に拡げていく、もしくは他国の文化を輸入し根付かせていくには、「パイオニア」たちの血の滲むような努力が不可欠です。たとえば「フランス料理」を日本に普及させた辻静雄氏の半生を描いた『美味礼賛』(海老沢泰久著 文春文庫)という作品は、涙と涎(よだれ)なしには読めない大々傑作です。
辻静雄氏のように誰もが認める大成功を収めた人ばかりではありません。大崎善生さんの『将棋の子』は、プロ棋士を目指して奨励会に入会したものの、まったく芽が出ぬまま退会していく若者たちの姿を描いた小説ですが、このなかに無一文で世界放浪の旅に出て、数年後ブラジル代表として世界選手権を制した江越克将さんのエピソードが登場します。江越さんはその後チリで将棋連盟の支部を立ち上げたり、昨年5月には久しぶりに帰国して故郷の丸亀で母校の中学生と指導対局を行ったりしながら、いまでも古い将棋盤や駒を南米に寄贈してもらい、南米の子どもたちに将棋を広めるための運動を続けているそうです。
棋士の道を断たれ、絶望の底にいた一人の若者が、お金もなくカタコトの英語すら話せないのに、20年以上も世界各地を転々とし、やがて南米に居を定め、今でも将棋の普及のために尽力している。いったいどれだけの苦労があったのでしょうか。ひょっとするといつの日か、チリからやってきた若者が森内名人や羽生三冠と将棋の世界統一王座をかけて戦うことがあるかも知れません。そのとき君たちはどちらを応援しますか? 「頑張れ、ニッポン」と叫びますか? それとも江越さんが南米に広めた将棋という遺伝子が開花したことに快哉を送りますか?

かくいう私にも、ささやかな夢があります。それは中学受験という「文化」を世界に発信すること。
私は西ベルリンに2年半ほど留学していたのですが、ドイツ人に「中学受験のための学習塾」の存在を理解してもらうのはタイヘンでした。なにしろドイツの小学校は午前中で授業が終わってしまいますから、午後も小学校で勉強し、そのあと夜遅くまで塾に通い、日曜も祝日も夏休みも受験勉強なんて、ドイツ人にとっては銀河系の果ての遠い星での出来事にしか思えなかったのでしょう。
いまの日本の教育制度や進学塾のあり方が最良のものだとは思いません。でも他国の教育のよい側面だけを並べ立てて、「受験戦争」に駆り立てられる子どもたちを可哀相と決めつける論調にはむかっ腹がたちます。「受験勉強は無味乾燥な詰め込み教育だ」と断罪する前に、「一度でいいから啓明舎の授業と教材と啓明舎生の笑顔を見に来い」と叫びたくなります。
「インドでは19×19まで暗記させる」という話がさかんに報道されていましたが、日本の中学受験生の(とりわけ啓明舎生の?)計算力や問題解決能力は間違いなく世界でもトップクラスです。だから皆さんにも胸を張り、誇りをもって勉強してほしいし、中学受験の世界・入試問題の難しさと面白さ・そして啓明舎の生徒たちのようすを、世界じゅうの人たちに伝えていきたいと思うのです(ちなみに『秘伝の算数』は3冊とも韓国語に翻訳されて出版されています)。

いつかどこかの国のテレビ局や政府関係者が「ニッポンにはケイメイシャというジュクがあって、そこの卒業生がノーベル賞受賞者や世界的な名医として活躍しているらしい」という噂を聞きつけて取材にくる日も遠い先ではないかも知れません。私はそう信じています。

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生徒面談

中学入試が終わってからはや約2ヶ月。本来ならば我々にとって「ほっと一息」の時期のはずなのだが、今年は例年になく忙しい日々が続いた。小3から新中1まで5学年の授業と毎週末の保護者会、そして担任をつとめる新6年生2クラス50名余の保護者面談。ここまでは例年通りの業務なのだが、それに加えて今年は新6年生全員の「生徒面談」を行うことにしたからだ。

塾内では最年長の「偉い先生」ということになっているせいか、「これから順番に(後)先生が個人面談をして下さることになりました」と告知された瞬間、教室内は「ええ~っ」というどよめきに包まれ、面談が終わって教室に戻った生徒は他の生徒たちに囲まれて「ねぇ、どうだった?」「何を聞かれた?」と質問攻めにあったらしい。

面談スペースに入ってくるときは、みな「×組の□□です。よろしくお願いします」と元気な声でしっかりあいさつをしてくれる。まずその姿勢を褒めると、すぐに打ち解けて、将来の夢や友人関係の悩み、口うるさいママへの愚痴など、小学生らしい「ホンネ」を語ってくれるようになる。

「どうしてこの塾に通うことにしたの?」という質問に、「前は大手塾に通っていたんだけど、授業がわかりにくくて成績が伸びなくて、それで『安くてもっと質のいい塾』を探そうということになって、ここに来ました」という答えが返って来たときは、思わず苦笑してしまったが、小学生なりに一生懸命言葉を選びながら、ていねいな口調で語ろうとする姿勢がまた微笑ましかった。

15分程度の面談はあっと言う間に過ぎていく。最後に「じゃああと10カ月、志望校目指して頑張ろう!」と手を差し出すと、本当にものすごく緊張していたのだろう、おずおずと握り返してくる子どもたちの小さな手はいつも汗でびっしょりぬれている。

授業前の短い時間を利用しての面談なので、やっと50名終了して残り150名。終了するのは夏休み前になりそうだが、「きょうはどんな子かな?」とわくわくしながら、面談タイムの始まりを心待ちにする毎日である。

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褒めることの大切さ

2月第2週。中学入試が終わると同時に、塾生たちは学校に先駆けて、1つ上の学年に進級する。とりわけ、これまで週1日・算国2教科だけだった3年生は、いきなり週3日・4教科の授業となり、通塾の負担も家庭学習の量も増える。ここで生活と学習のリズムを身につけることができるかどうかが、3年後の受験に向けての最初の正念場といえる。

最初に理科の授業を担当した翌々日、3年の女子と迎えに来た母親に声をかけられた。

「先生に理科を担当していただいて、本当によかった! 実はウチの娘は理科が大嫌いだったのですが、一昨日家に帰るなり『理科って面白い!』と言って、授業で教わったことをたくさん話してくれたんです。」

(あれ? 一昨日は「植物の冬越し」という地味な内容だったし、かなり難しいことを話したはずだったんだけどな・・)

「そうか、よかったね~。でも、何がそんなに面白かったの?」

「うん。勉強は難しかったけど、先生が『褒め褒め』で授業してくれたから、理科が好きになっちゃった。」

30年近く「プロ」としてこの仕事をしてきたオジサンでも、幼い教え子のこんな一言で脳内に「β-エンドルフィン」が大量に分泌され、「よっしゃ! 次はもっと楽しくて褒めまくりの授業をするぞ!」という気持ちになる。まして「算数は苦手」「理科は嫌い」「週3日も塾に通うなんて無理」などと不安に苛まれている子どもたちに一番必要なのは、「褒める」「認める」ことで「やる気ホルモン」の分泌を刺激してやることだ。

入試期直後は疲れもストレスもピークに達している。繰上合格の報に最後の望みを託している受験生やご両親のことを思うと、どうしても表情も険しくなる。でもそれは新たなスタートを切った教え子たちには無関係なことだし、険しい顔で日々を過ごしていれば朗報が訪れるというわけでもない。

自分の「やる気ホルモン」が分泌されるのはどんなときなのかを考えれば、子どもたちに接するときの姿勢は自ずと明らかになる。親が子に接するときの姿勢も同じはずだ。

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受付スタッフの笑顔

「明日からもう6年生たちは来なくなるんですねぇ」。入試激励会が終わった1月31日の夜、受付事務を担当しているスタッフがぼそりとつぶやいた。

私たちの塾では、受験が終わったあとも新中1生向けの授業を行い、中1の7月で「卒業」としているので、「来なくなる」わけではないのだが、週4日通い続けてきた教え子たちが姿を見せなくなるのは、やはり寂しい。

「お母さんがお弁当にお箸を入れ忘れた」「教科書を忘れた」「おなかが痛い」等々・・何も用がなくても、ただおしゃべりをしに来る子も大勢いる。来る日も来る日も彼らの相手をし続けてきた受付スタッフは、いつも笑顔で迎えてくれるし、なんでも相談できる、私たち教師以上に身近な、心を許せるやさしいオジサンやお姉さんなのだろう。

だから入試の早朝激励を受付スタッフが担当することになると、ほぼ例外なく「やった! ××さんだ!」と大喜びをする。教師としてはちょっとフクザツな思いだが、確かに600人近い生徒と保護者の顔と名前を一致させられるだけでなく、注文する弁当の好みまで覚えてくれている彼(女)たちは、我々にとっても本当に頼りがいのある大切な仲間だ。

不登校気味の子にとって、保健室がかけがえのない自分の「居場所」になることもあるし、私もかつて守衛室のおじさんのお蔭で辛い時期を乗り越えられたことがあった。

いまはどの学校の説明会でも「スクール・カウンセラーが心の悩みに対応しています」と宣伝しているけれど、週に何日か「相談室」で待機している臨床心理士より、毎日顔をあわせる受付のお姉さんや守衛のおじさんの方が、子どもたちが心を開いてくれる「身近な大人」になるケースも少なくないだろう。

仕事柄多くの学校を訪問する機会があるが、「受付窓口」の対応で学校の第一印象は大きく左右される。失礼な言い方で恐縮だが、「6年間、毎日こんな仏頂面で出迎えられるのかよ」と思うと、教え子を預ける気持ちが萎えてしまうこともある。

多くの新入生が入塾するこの時期、受付スタッフに負けないように、我々も最高の笑顔で子どもたちを出迎えてあげようと思う。

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手を振る

冬期講習中は生徒の出迎え、そして講習明けからは入試の激励と、早朝から外に立つ機会が続いた。今年の冬は寒さが厳しく、腰痛もちには辛い朝だったが、受験生や保護者の苦労を思えば、弱音を吐いてはいられない。

ひとりで通塾してくる生徒を見かけたら、手を振って出迎える。すると、必ずといっていいほど、少し小走りになって駆け寄ってくる。(おはようっ、待ってたぞ)という声が届いたかのように。

子どもたちはみな「勉強は大変だけど、塾は大好き」と言ってくれるけど、でもやっぱり冬の朝は眠いし寒いし、足どりが重くなることもある。そんなとき、誰かが自分に向かって手を振って出迎えてくれたら、「きょうも頑張ろうかな」という気持ちになれるはずだ。

生徒を送り出すときも、大きく手を振ってあげる。(大丈夫。ちゃんと見守っているから。明日もまた待っているよ)と後姿に無言のエールを送ると、子どもたちはやっぱり小走りになって家路に向かっていく。

2月は新たな出会いと巣立ちの時期。今年も130名強の受験生を送り出し、そしてそれ以上の新入生を迎え入れる。誰だってはじめての塾通いには不安を抱くだろうし、受験生たちはそれ以上に、かつて経験したことのない不安と緊張に苛まれている。我々にとっては何十年と繰り返してきた「年中行事」だが、子どもたちにとっては人生初めての大きな転機なのだから。

我々にできること、そして親がするべきこと。それはよちよち歩きを始めた赤ん坊を(転んだらどうしよう)と手を差し伸べて抱き抱えるのではなく、子どもたちの可能性を信じて、(ほら、こっちにおいで)(そうそう、そのまま歩いていきな)と笑顔で出迎え、笑顔で送り出すことだ。

長かった受験までの道のり。でもゴールまではあと僅か。その先には新しい仲間、まだ見ぬ世界が、手を振って君たちを待っている。可愛い後輩たちが君たちの後に続こうとしている。だから心配しないで、笑顔で巣立っていきなさい。見送る我々も笑顔で大きく手を振り、無言で語りかける。「行ってらっしゃい」と。

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「塾の子」たちへ~受験生に贈る言葉~

いよいよあと数日で、東京・神奈川の中学入試が開幕します。6年生諸君はいうまでもなく、ご両親・ご家族の皆さんも、緊張と不安で胃がキリキリと痛む日々を過ごしていることと思います。もちろん私たちも同じ。残り僅かな日々で、何をするべきなのか、何をしてあげられるのか、教え子たちの顔を思い浮かべては毎晩眠れない夜を過ごしています。

この時期になると、必ず読み返す一冊の本があります。それは池澤夏樹さんの『キップをなくして』(角川文庫)。初出は2005年7月。ちょうどその翌年の2月に我が子が中学受験を迎えたということもあり、当時の6年生対象の「最終保護者会」でこの本のことを語ろうとしたとき、教師としての思いに、「受験生の父」としての思いが重なり、不意に涙があふれてきて、最後まで話すことができなかったことが今でも忘れられません。

このコラムを愛読していただいた保護者の皆さんに御礼を申し上げるとともに、お子さんたちの健闘と志望校への合格を祈念して、激励のメッセージを贈りたいと思います。

『キップをなくして』は、多くの中学で入試問題の素材としても取り上げられた有名な物語ですから、読んだことのある人も多いでしょう。

ある日、電車に乗って買い物にでかけた主人公の少年は、改札口でキップをなくしたことに気づきます。すると知らない女の子がやってきて、「キミ、キップをなくしたんでしょ? キップをなくしたら、駅からでられないの」といいます。主人公は何がなんだか訳のわからないまま、同じようにキップをなくした子どもたちと一緒に「駅の子」として、駅のなかで共同生活を始めます。

最初にこの「駅の子」という表現がでてきた瞬間に、教え子の顔が頭に浮かんできて、ああみんなは「塾の子」なのかも知れないなと思い、それだけで何故だか胸がいっぱいになって、ぽろぽろ泣けてきました。

「駅の子」たちは決して家や学校が嫌いで逃げ出したわけじゃなくて、帰ろうと思えば、駅員さんに「キップをなくしました」といえば改札口をでて、家に帰ることができます。でも彼らは、「何かまだ仕残したこと」があるように思えて、駅に止まるのです。駅というのは「通過点」に過ぎません。確かにそこで暮らそうと思えば、売店だってレストランだって救護室だって、必要なものは何でもそろっているけれど、でもあくまでも出発地から目的地まで行く途中に、あくまでも通りすぎるだけの場所。だけどそこでいろんな人が出会い、すれちがい、いろんなドラマが生まれる。

「駅の子」の仲間たちのなかには、わがままだったり癇癪もちだったり、友達がいない寂しい子どもだったり、実はもう列車事故で死んでしまった子も混じっています。でも「駅の子」たちは不思議な連帯感をもって、お互いに協力しあい、駅で困っている他の子どもを助ける仕事をしながら、一緒に暮らしていきます。

塾の中にも、ムカツク奴もいただろうし、ちょっとした嫌がらせや悪口などでイヤな思いをしたことがあるかも知れません。それより、先生に怒られたり、テストの成績でクラスが下がったりするほうがずっとイヤだったかな? でも、学校の勉強よりもずっと厳しくて、毎日毎日勉強ばっかりで、ストレスだってずっとたまるはずの塾が大好きで、学校は休んでも塾は絶対に行くという子がほとんどだったと思います。

思えば、本当に長い道程でした。君たちも「もう受験なんかやめちゃおう。もっと遊びたいよ」と何度も思っただろうし、どれだけ叱っても勉強しない、成績は順調に下降する、「ウチの子にはやっぱり受験は無理なのかしら」と悩まれた保護者の方々も大勢いらっしゃるでしょう。

でも、君たちは最後までこうして通い続けることができた。そしてこんなに立派に成長し、たくさんの仲間に囲まれ、あと少しで「改札口」をでられるところまできたのです。もうそれだけで私は、君たちと君たちを支えてくれたご両親に拍手を贈りたい気分です。このままずっと「塾の子」でいてくれてもいい、と思うくらいに。でもやっぱり塾は「通過点」。目的地があるからこそ通過点があるのであって、君たちはあと数日でこの「駅」を巣立っていくことになります。

君たちはもう、「何かまだ仕残したこと」が何なのか。何のために「塾の子」になったのか。これからどこに向かって進んでいくのか、もちろんわかっているでしょう。物語のなかの「駅の子」たちは最後に皆で大冒険をし、辛い別れをし、ひとつ大人への階段を上って、改札口をでていきます。君たちも、これからあとちょっとだけ、辛い日々と大きな試練を乗り越えなければなりません。でも、ここまでくれば大丈夫。みんなが見守ってくれている。仲間がいつも傍にいる。だから胸を張って、自信をもって、最後の一歩を踏み出しましょう。そうすればきっと、改札口の先には満開の桜が咲いているはずです。

受験生の保護者の皆さん。

私たち教師は、これから改札口をでていく教え子の後ろ姿を見守り、励まし、ベストの状態で最後の試練に臨ませるべく、残された仕事に全力を尽くします。だから、あとちょっとだけ、我慢して待っていてください。そして、桜の咲く坂道をかけおりて、家の扉をあけ、元気な声で「ただいまっ」と帰ってくる子どもたちを、あたたかく迎え入れてあげてください。

満開の桜の下で、満開の笑顔をたたえた「塾の子」たちと、そして苦労をともにしてきたご両親・ご家族の皆様と再会できることを、心より祈念しています。本当に長い間、ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。人生最高の笑顔で、心の底から「おかえりっ」と言ってあげるために、勇気を振り絞って、世界じゅうの桜の花芽がびっくりして目を覚ますくらいに元気な声で、子どもたちを送り出してあげましょう。

「さあ、行ってらっしゃい!」と。

中学受験を終え、笑顔の子どもたちを出迎えることができたとき、ひょっとしてこのコラムが、幾許かでもお役に立てたと思っていただけるのであれば、それに勝る喜びはありません。喜びの声や感想などをお寄せいただければ幸いです。

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子どもたちの成長のドラマ

いよいよ入試まで2か月弱。受験校を決定するための個人面談が毎日続いています。
第一志望校に合格する可能性がどのくらいなのか、確実な「おさえ」の学校はどのレベルなのかを話しているうちに、「こんなに頑張っているのに、どうして成績が伸びないんでしょう。もし××中にも合格できなかったら、どうしましょう……」と、目に涙を浮かべはじめるお母さんもいます。

生徒たちもようやく「受験モード」の顔つきになってきたのですが、頑張れば誰でも志望校に合格できるというほど、中学受験は甘い世界ではありません。本当に頑張っているからこそ余計に、志望校に合格できなかったときのショックは大きいでしょう。私たちにとってもその思いは同じです。
「不合格だったらどうしよう。どんな言葉をかければいいんだろう」
毎年入試が近づくと、めっきり食欲がなくなり、夜中に合格発表の夢を見てうなされることも度々です。
「毎年こんなお仕事をされてきて、よく身体がもちますね」と保護者の方に同情(?)されることも少なくないのですが、でも、やっぱり私はこの仕事が大好きです。

皆さんは『てんびんの詩』という映像作品をご存じでしょうか。商業映画ではなく、企業などの研修に使われるもので、演出とか出演者の演技とかはかなり素人っぽいのですが、個人的には、何度でも見たくなる感動作だと思います。


主人公は裕福な近江商人の家の長男として生まれた12才の少年「大作」。時代設定はおそらく昭和初期でしょうか。大作は小学校を卒業した日、父親に「明日からこの風呂敷包みのものを売り歩いてこい」と命じられます。風呂敷包みのなかに入っていたのは、何の変哲もない鍋の蓋(ふた)。この日から大作は、着るものも食事も他の奉公人と同じにされ、毎日てんびん棒に鍋蓋をくくりつけて、「行商」を始めることになります。
これまで何ひとつ不自由なく可愛がられて育ってきた12才の少年が、商いなどすることができるはずはありません。父親の店に出入りする業者や近所の知り合いの家に鍋蓋を売りに行くのですが、親の威光を嵩(かさ)にきて「鍋蓋買ってくれよ」と押し売りまがいの態度をとっては怒鳴りつけられ、「鍋蓋を売らないとご飯も食べさせてもらえないんです」と泣き落としにかかると、「嘘をついて、親を貶(おとし)めるとは何事か」と一喝されます。
思い余って何十kmもの山道を歩き、幼い頃から可愛がってくれた叔母さんの家を訪れると、最初は「まあ、大作ちゃん。大きくなって……」と歓迎されるのですが、いざ鍋蓋を売ろうとすると、「それを買うわけにはいかない」と拒絶されます。もう日も沈みかけており、せめて家に泊めてくれるのではないかと期待していたら、「用がすんだらさっさと帰れ」と言われ、結局夜通し歩いて家に帰る羽目になります。

そんなある日、大作は農家の前の川辺にいくつかの鍋と鍋蓋が並べてあるのを見かけ、「もし鍋蓋を川に流したら、困って買ってくれるかもしれない」という邪(よこしま)な思いが心をよぎります。でも「この鍋蓋も自分と同じように苦労して誰かが売ったものなのだろう」と思い、自分の甘ったれた心を叱咤するかのように、一心不乱に鍋を洗い始めます。それを見かけた農婦が「何であんたはウチの鍋を洗っているのか」と問いただすと、大作は土下座をして詫び、事情を話します。すると農婦は「よっしゃ、鍋蓋買ってやろう」と言い、ようやく初めての商いに成功するのです。
夜も更けてようやく家路について大作は、近くのお地蔵さんの前で、ずっと手を合わせて大作の無事と商いの成功を祈っている母親の姿を見て、自分がどれだけ親に愛されているのか、両親がなぜこんなに冷たい仕打ちをしたのかを知る……。そんなストーリーです。


この作品を観て心を打たれるのは、わが子の成長のために、心を鬼にして突き放し、でも陰ではずっとわが子を思い、祈り続ける母親の姿。そして、「鍋蓋売り」の意味を理解し、誰一人大作に手を差し伸べようとしない親戚や地域の人々の断固とした態度です。誰だって、幼い子どもが涙を流しながら、不慣れな商いをし、一日中歩いている姿をみれば、同情したくなるでしょう。でも、もし誰か一人でも「可哀相だから、鍋蓋くらい買ってやるか」と甘やかしてしまったら、一番辛い思いをしているはずの大作の両親の思いをすべて台無しにしてしまうことを、周囲の大人がみなわかっているのです。

中学受験という厳しい世界に挑むのも、大作と同じ12才の子どもたちです。夜遅くまで勉強をし、朝早くから学校に行き、そして塾に通ってくる。ついつい居眠りを始める生徒もいます。なかなか成績が上がらない。テストの成績が悪いとクラスが落とされる。親からも叱られる。さぞかしストレスも溜まるでしょう。
私自身は地方の国立の小中一貫校に通っていたので、中学受験の経験はないし、小学生のころに塾に通った経験もありません。だから、「本当によく頑張るなあ」と心の中では感心しながら、それでも宿題をやってこなければ叱り、居眠りをしていれば、たたき起こして「顔洗って出直してこい!」と命じます。「可哀相だから」と少しでも甘やかしてしまえば、ご両親の願いを無にすることになりかねないからです。

もちろん「鍋蓋売り」と受験勉強とをまったく同列に論じることはできません。面白くてわかりやすい授業をすれば、それだけ学習効果は上がるし、「突き放す」よりも、励まし、努力を認めてあげるほうが、今の子どもたちは伸びます。でも最終的には、子どもたちの成長のために、心を鬼にして「受験」という「戦場」に送り出さなければならない。そのために、ときには絶対に甘えを許さない断固とした態度をとる必要があります。そしてその断固とした態度を、親と我々教師全員が共有し、絶対に「逃げ道」を作ったり、「駆け込み寺」になったりしないようにしなければなりません。

だから、涙を浮かべているお母さんに、私たちはこう言います。「お子さんが本当に頑張っていると思うなら、親はもっと強い気持ちでわが子の可能性を信じましょう。そして仮にどんな結果に終わったとしても、最後までやり遂げたことを祝福してあげる覚悟をしましょう」と。
受験勉強を通して子どもたちが得るものは、志望校の合格通知だけではありません。中学受験はゴールではなく、新たなスタートラインです。だからこそ私は、毎年ストレスで胃がキリキリする思いを繰り返しながら、でも教え子たちの成長と新たな巣立ちの瞬間に立ち会うことができるこの仕事が、いつまでもやめられないのです。

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「王」となるための資格

私の唯一無二の趣味は「読書」なのですが、最近、これまでずっと避けてきたあるジャンルが「マイブーム」となっています。それは「ファンタジー小説」。なかでも小野不由美さんの「十二国記」シリーズに夢中です。実はつい最近まで私はこのシリーズの存在を知りませんでした。それは「講談社ホワイトハート文庫」という十代の女の子向けのレーベルから出版されていたからです。
この「未知の領域」に足を踏み入れるきっかけとなったのは、上橋菜穂子さんの『獣の奏者』(国語の問題の出典にもなっている有名な小説です)の「解説」で、北上次郎さんという小説家が『十二国記』シリーズを絶賛していたから。北上さんは「天使とか魔法が出てくると、その瞬間にぱたんと本を閉じてしまう」くらいにファンタジーが苦手で(私と一緒)、知り合いに『十二国記』シリーズを薦められたときも「なにしろ、講談社ホワイトハート文庫である。年少読者向けの叢書であり、中年男性が手にするのはそれだけで恥ずかしい」と思ったけど、読み始めるととまらなくなり、朝までかかって8冊を全部読み切ってしまった」と書かれています。この点も私と同じですね。

「十二国記」は、古代中国を下敷きにした、仙人や妖魔が跋扈する異世界の物語ですが、「よくできているなあ」と思うのは、十二の国の王は、王に仕える十二体の「麒麟」(ふだんは人間の姿だが、伝説の魔獣に変身できる)が「たぶんコイツかな~?」という「天の意思」を感じて選ぶというところ。身分も年齢も経験も関係ないので、「ホワイトハート文庫」の読者と同じ十代のフツーの女の子や美少年が王になる。実は「麒麟」もごくフツーの少年少女で、「妖魔」を従えることができる以外は、「汚らわしいから、血を見るのもイヤ」という存在。そんな王と麒麟が「私に王なんかが務まるわけないじゃん」「戦う力も勇気もないのに、どうしてボクが麒麟なんだろ?」「お母さんや学校の友だちに会いたいよう」「なんでオレは、こんな頼りない王に仕えなければならないんよ」と悩みながら、妖魔や厳しい環境やずる賢いオトナを相手にドラマを繰り広げていくのです。

例えば『風の万里 黎明の空』という作品では、突然異世界に連れてこられて、無理やり「王」にされしまった女子高生と、暴君として憎まれていた王が失脚して追放された王女と、もともと貧乏な農家の生まれだったのに、異世界に迷い込み、さらに過酷な境遇での暮らしを強いられた娘が、それぞれ自分の不幸な境遇を嘆きながら、波瀾万丈の旅をするお話。でも、貧困や妖魔に苦しめられながら健気に生きている人々との出会いを通して成長し、やがて3人が出会い語り合うなかで、「人間って、不幸の競争をしてしまうわね。自分がいちばん可哀相だって思うのは、自分がいちばん幸せだって思うことと同じくらい気持ちいいことなのかも知れない。自分を哀れんで、他人を怨んで、本当にいちばんやらなきゃいけないことから逃げてしまう」ということに気づき始める。そんな「等身大」の十代の少年少女の悩みと成長が、摩訶不思議な世界のなかで描き出されているのです。

思えば皆さんも、知らぬ間に「中学受験」という摩訶不思議な世界に連れてこられて、「偏差値」という「妖魔」や「ずる賢いオトナたち」(誰のことだ・・?)に惑わされながら、「小学校の他の友だちは毎日楽しく遊んでいるのに」「××中なんて、私が合格できるはずないのに」「お父さんやお母さんなんて、私の気持ちをぜんぜんわかってくれないんだ」・・・なんて、いろいろ悩みながら、日々を過ごしているのかも知れません。
『図南の翼』という作品では、12才の女の子が荒れ果てた国を救うために「自分が王になるしかない」と決意して、一人家を出て、妖魔の跋扈する世界に乗り込みます。自分には何の力もないし、自分こそが王に相応しい人間だと思い上がっているわけではない。「こんな小娘に何ができる」とオトナたちに嘲笑されても、彼女は自分が名乗りを上げることで、仮に自分が王として選ばれなくても、きっと王に相応しい誰かが立ち上がり、この国を救ってくれるきっかけになると信じています。
啓明舎に通い、中学受験をすれば、必ず輝かしい未来が待っているというわけではない。そもそも志望校に受かるかどうかもわからない。「だったら、何のために、遊びたいのを我慢して勉強しなければならないのだろう?」・・そんな悩みや不安をもつのも当然のことです。 でも、君たちが立ち上がらなければ、君たちの人生という「王国」には、いつまで経っても「王」は誕生しません。「王」として相応しい存在になるためには、これからまだたくさんの試練を乗り越えなければならないでしょうが、「自分を哀れんで、他人を怨んで、本当にいちばんやらなきゃいけないことから逃げてしまう」ような人生なんて、過ごしたくないでしょう?

特に6年生の皆さんは、これからがいよいよ「王」として選ばれるかどうかの試練に立ち向かうことになります。模試の成績とかを見ては、萎えそうな気持ちになっているかも知れません。でも、大丈夫。「王」になるための資格は1つだけ。それは「自分から立ち上がること」。そうすれば、君たちの「麒麟」である我々が、「なんでこんな王に仕えなければならないんだよっ」とか愚痴をこぼしながら(冗談です)、君たちを「王」として認め、全力で支えていきますから。

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『試練の夏』から『勝負の秋』へ

暑い夏がようやく過ぎ去ろうとしています。

私が中学受験指導を始めて28年目。途中3年間ドイツに留学していたので、今年が通算25回目の夏ということになります。毎日朝9時から夜9時までの授業は年齢的にちょっとキツくなってきましたが、はじめて塾に通う3・4年生との出会いも楽しいし、ようやく(?)本気になり始めた6年生の姿を見るのも嬉しい。1か月以上も、朝から晩まで授業だけに専念できるという点では、1年のなかで一番楽しい時期でもあります。少しでも長く、こんな充実した夏を過ごし続けたいと思っています。

さて、この夏の一番の話題といえば、やはりロンドンオリンピックでしょう。帰りが遅くなってタクシーに乗ると、必ずといっていいほど、「これから女子サッカーの応援ですか?」「柔道は全然いいところがなかったですね」などと運転手さんに話しかけられました。私はオリンピックには興味がないし、翌朝も出勤が早いので、テレビ中継もまったく見ていないのですが、ニュースを見ても、新聞を開いても、インターネットを繋いでも、オリンピックの記事一色で、個人的にはちょっとうんざりしていました。

自分自身が子どもの頃からまったくの運動オンチだったので、スポーツの世界で活躍する人たちには強い憧れを抱いています。だから、例えばサッカーや野球が大好きな子には「自分が好きなことにとことん打ち込めない奴は、受験勉強でも頑張れないんだ」と、できる限り、塾通いとスポーツとの両立を続けるように勧めています。

では、なぜオリンピックに興味が持てないのか。

それは「頑張れニッポン」と「メダル獲得の感動の瞬間」ばかりを連呼するマスコミの報道姿勢があまり好きになれないからです。

オリンピックはなによりも世界の友好と親善のためのイベントであり、「大国」間のメダル獲得数争いの場ではないはずです。1回戦で敗退した選手にも、もっと惜しみない拍手と声援が送られるべきだし、何よりも4年に1回の世界的なイベントなのだから、ふだんは目にすることのないような「マイナー」な競技の様子とか、「わずか5人だけのパラオ選手団の素顔」とか、世界にはいろんな国があり、いろんなスポーツがあるということをもっと伝えてほしい。自国選手の勝利の笑顔だけではなく、もっと他に、子どもたちに誇るべきこと、伝えなければならないことがあるのではないか。私が「ひねくれ者」なのかも知れませんが、そんな思いをぬぐい去ることができません。

いまから10年前。日韓共同開催によるサッカーのワールドカップが開催されたときのことです。強豪ひしめくヨーロッパ予選を勝ち抜いたデンマークは、和歌山をキャンプ地として選びました。「デンマークってどこの国?」「ベッカムとか有名な選手はいるの?」最初はわずか数百人の観衆が興味半分でデンマークチームの練習を見物に訪れただけだったのが、日を追うごとに2000人、3000人と観客数が増えていきます。それは、他の強豪国が勝利と秘密保持のために練習を非公開にしていたのに対し、デンマークチームはすべての練習を公開したばかりか、全選手が気さくにサインに応じ、和歌山の子どもたちを招き入れて一緒にミニサッカーを行ったりしたからでした。

ある記者がデンマークのオルセン監督に「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけどデンマークはこれでいいのですか?」と尋ねたら、オルセン監督はこう答えたそうです。

「われわれの強さは練習を秘密にしたところで変わらない。絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ。何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが喜んでくれることはどんどんするべきだ。試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」。

デンマークは見事予選リーグを勝ち抜きましたが、決勝トーナメントでイングランドに敗れます。でも和歌山の人たちはこのときの思い出を大切にし、いまでもデンマークのサッカーチームを応援する私設応援団が熱狂的な声援を送り続けているそうです。

この逸話がどこまで事実なのかはわかりませんが、私はこの話が大好きです。

母国の威信と大きな声援を背に、私たちには想像もできないようなプレッシャーのなかで、見事メダルを手にした選手たちの偉業にケチをつけるつもりは更々ありません。日本経済の苦境や未曾有の大災害にあえぐなかで、日本選手団の雄姿に勇気をもらった人たちも大勢いるでしょう。

戦う以上は常に勝利することを目指すべきです。だから、これから中学受験という苦しい戦いに赴く受験生たちにも、「最後まで諦めるな」「絶対に合格という金メダルを勝ち取ってこい」と、心から声援を送りたいと思います。

でも彼らを見守り指導する私たち大人は、ただ結果としての「勝利」(合格)を讃えるのではなく、どんな結果に終わろうとも、「自分はこれだけの勉強をしてきたんだ」という誇りをもって全力を尽くすことを、そして苦労を共にした仲間や自分を支えてくれた家族への感謝の気持ちこそが一生の財産となるような、そんな受験をさせることを、何よりも大切にすべきだと思うのです。

夏が終わると、6年生はいよいよ入試に向けての「勝負の秋」。模擬試験や過去問演習などでなかなか結果を出すことができず、へこたれそうになることもあるでしょう。でも、「結果を恐れず、勇気と誇りをもって困難に立ち向かう」気持ちを忘れずに、自分の夢・自分の目標に向かって歩み続けてください。「本当の勝利」とは何なのか、それは戦いが終わったときにはじめてわかるものなのですから。

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